LaVoceOrfica

公演記録 


第22回公演 (チラシへ) (プログラムへ) (解説:定旋律に隠された秘密へ)

ジョスカン・デ・プレ Josquin des Prez
(c1440─1521)
ミサ 「フェラーラ公 エルコレ」
Missa "Hercules dux Ferrarie"

人々は泣いた
服を引き裂き
床に身を投げ出した…

天才作曲家のテキストに宿して
現代のクラシックの在り方を
鋭く衝く
今生まれ出る演奏



指   揮 濱田芳通(はまだよしみち)
アントネッロ コルネット濱田芳通
  ヴィオラ・ダ・ガンバ:石川かおり
  ルネサンス・ハープ:西山まりえ
合   奏 サクバット:角田正大 ほか
バ   ス 春日保人
合   唱 ラ・ヴォーチェ・オルフィカ


日  時  2006年 9月11日(月) 7時開演
場  所 東京カテドラル聖マリア大聖堂(地図
チケット 3000円 (お問合せ、ご購入)

【22回プログラムのページへ】

【22回解説 曲の楽しみ方「定旋律に隠された秘密」のページへ】


  【22回公演の解説】 (ラ・ヴォーチェ・オルフィカ 杉村 泉) 

「フェラーラ宮廷とジョスカン・デ・プレ」

 イタリア北部、ヴェネツィアの南西に位置する都市フェラーラは、13世紀初頭にはエステ家が支配権を握るようになった。エステ家は代々、芸術・文芸を手厚く保護したことで知られ、16世紀半ばには、詩人のタッソもここで活躍した。また、美術の世界でも、コスメ・トゥーラなど多くの巨匠たちがこの地で傑作を残している。エステ家一族は、フィレンツェのメディチ家と並んで、まさにイタリア宮廷文化を代表する存在であり、とりわけフェラーラが公国となった15世紀後半からは、華麗なルネサンス文化が花開いた。
 1471年にフェラーラ公となったエルコレ1世は、特に音楽好きだったこともあり、ヨーロッパ中から優れた音楽家を集めていた。 1503年、そのエルコレが破格の待遇で招いたのがジョスカン・デ・プレだった。
 ジョスカンは、もともとフランドルの出身だが、ミラノやフランスの宮廷でも活躍し、当時最も著名な音楽家の一人であった。宮廷礼拝堂の楽長に就任したジョスカンは、君主のために作曲した作品をいくつか残している。
 そのなかで最もよく知られているのが、ミサ曲《フェラーラ公エルコレ(エルクレス・ドゥクス・フェラリエ)》である。この曲で、ジョスカンはフェラーラ公エルコレ(Hercules Dux Ferrarie)の名前の母音を音階に読み替えて、定旋律として織り込むという斬新なアイデアを用いた。
 レ(re)-ド(ut)-レ(re)-ド(ut)-レ(re)-ファ(fa)-ミ(mi)-レ(re)というその旋律は、格別特徴的というわけではない。しかし、その少ない音の配列の中から、ジョスカンが描き出すポリフォニーは、即興的な掛け合いのように自由自在に展開していく。その発想の多彩さは、20曲以上ある彼のミサ曲の中でも特に際立っている。
 教会音楽と世俗音楽のいずれにおいても、ルネサンスという時代の頂点に立つ存在であったジョスカン・デ・プレ。フェラーラのチャペルにも響きわたったに違いないその旋律は、500年経った今も我々の心を捉えてやまない。

【22回公演チラシへ】    【22回プログラムへ】  【解説:定旋律に隠された秘密へ】
(左側にメニューフレームが表示されない場合のみ【トップへ】)