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音楽ファンのための気楽な豆知識

宗教音楽や合唱音楽も、ちょっとした知識を得ることでもっと興味深く聴くことができます。
ここでは、知って為になる「なぁーるほど」という程度の豆知識を順次追加掲載していきます。
なるべく簡単に分かりやすくお知らせするため、いろいろな背景や厳密な定義の省略がありますので、興味がわいたらちゃんと調べて下さいね。(文責 横尾)

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 1.音楽基礎知識編 
  (調律法基礎知識へ)
 2.楽器知識編
 3.時代様式、作曲家編
 4.一般参考知識編
   主な参考文献
 (番外:ヴォーチェ便利グッズへ)


1.音楽基礎知識編

ミサ(Missa)の語源について】

むかし民衆が集まって行われた教会での祈り(聖祭)は、最後に司教が「Ite,missa est. イテ ミサ エスト(去れ、これにて(集会は)解散する)」と言い放つ習わしから、「ミサ」と言われるようになりました。
 (参考WEBサイト) ミサについて

ミサ曲とは】 ( ミサ 通常文の対訳へ)

 カトリックのミサは、固有文(Proprium)と通常文(Ordinarium)で構成されていますが、「ミサ曲」は、ミサ通常文に統一性をもたせて作曲されたもので、1.キリエ(Kyrie=憐れみの賛歌) 2.グロリア(Gloria=栄光の賛歌) 3.クレド(Credo=信仰宣言) 4.サンクトゥス(Sanctus=感謝の賛歌) 5.アニュスディ(Agnus Dei=平和の賛歌)の5つの典礼文から成り立っています。
 ミサ曲が1つの通作ミサとして初めて作曲されたのが、14世紀フランスのアルス・ノヴァを代表する作曲家ギョーム・ド・マショー(1300頃〜1377)の「ノートルダム・ミサ」です。

レクイエム(Requiem)について】 

 正式には「Missa pro defunctis (ミサ プロ・デフンクティス) 死者のためのミサ」ですが、その聖歌の歌詞が「Requiem aeternam dona eis Domine (レクイエム=休息 エテルナム=永遠の ドナ=与える エイス=彼に ドミネ=主よ) 主よ、永遠の休息を彼に与えたまえ」で始まることから、一般に「レクイエム」と称されるようになりました。なお、与える(dona)は、臓器提供者の「ドナーカード」のドナーですね。
 ところで、このレクイエムのローマ・カトリックによる発音を収録した「レクイエム発音講座」というCDが発売されています。その中では逐語訳やレクイエムの成り立ちなども解説されていて、とても参考になりますよ。
(参考:豆知識「ラテン語について」へ)

【アーメン(Amen)という言葉について】

ミサの最後などに、必ず唱えるのがこの「Amen (アーメン) 」という言葉。これはヘブライ語で「まことに」「確かに」という意味の言葉です。やがて「そうでありますように」という意味になりました。

【リズムと拍子について】

 現在主流のバッハ以降のロマン派などいわゆる「クラシック音楽」では、「4分の3拍子」とか「4分の4拍子」など、拍子をごく普通に使用しています。楽譜も当然に「小節線」が入っていますね。
 音楽を形成する3要素として「リズム」「旋律」「和音」が挙げられますが、「旋律」「和音」がない音楽は考え得ますが、唯一リズムを持たない音楽は考えられません。「リズムなしには音楽は生まれないという事実は、リズムがより根元的な、生命と直接関わりを持つ力である」「このような生の根元に結びつくリズムに対して「拍子」は、それと対立して自由を制約する人工的な概念的な原理である」(芥川也寸志「音楽の基礎」P88)

 まさにそのとおりだと思います。
 よく拍子がリズムそのものであるかのように、リズムと拍子が混同して考えられてしまいますが、対立概念であるとの芥川氏の見解はヴォーチェの音楽アプローチの根本とも一致します。
 ヴォーチェが演奏対象としている中世、ルネサンス、初期バロック時代はこの「拍子」という概念はありませんでした。楽譜は「定量白符」といい小節線など入っていません。中世、ルネサンス、初期バロック時代の音楽演奏に当たって、特に現代譜を使用する場合は、小節線=拍子にとらわれない演奏を行うことが必要です。

テノール(Tenor)の語源について】

11世紀ころまでに、それまでの単旋律聖歌に平行した第2の声部(オルガヌム声部)が重ねられるようになると、その下声部は、主旋律を長く引き伸ばしたり保ったりしたため、ラテン語の「tenere〔テネーレ〕"保つ"あるいは"引き延ばす"」という言葉からテノールtenorと呼ばれるようになりました。そしてこの言葉は、15世紀の半ばを過ぎるまで多声の楽曲の一番下の声部を指すものとして用いられたそうです。

【アルト(Alto)の語源について】

現代では、女声の低い声部を受け持つアルトですが、元々の語源 Altoは「高い」という意味です。なぜでしょう。これは、一番基本となる「テノール」に絡む声部(コントラテノール)のうち高い音を受け持つ声部を「テノール・アルトゥス」と称していたため、テノールより高い声部をアルトと言うのです。

ソプラノ(Soprano)の語源について】

 合唱や声楽の最高音部を表す「ソプラノ」という言葉はイタリア語です。英語でもソプラノ(soprano)と言いますがトレブル(Treble)とも言います。
 ソプラノの語源は、ラテン語の「最も高い、はなはだ上の、最も外の」という意味のsupremusから来ています。このラテン語も「super」=まさにスーパーと同義です。アルトを超えてさらにその上にあるというような意味でしょうか。
 そういえば、ソプラノは枠の外で一人我が道を行くような場合が多いですね。「楽器ジョーク」の「声楽家〜ソプラノジョーク」は笑えますね。思わず納得したりして…。
   Q. 電球を交換するのに何人のソプラノ歌手が必要ですか?
      A. 1人です。彼女が電球をつかむと、世界は彼女を中心に回転します。

【アカペラ(a Cappella)の語源について】

一般に、無伴奏で合唱や声楽曲を歌う場合「アカペラ」といいますね。ルネサンス期の理想的な音の構成は、均質な4声部以上の無伴奏の声のアンサンブルとされ、特にカトリックの総本山バチカンのシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)では伝統的に無伴奏の演奏しか行わないため、そのような無伴奏の様式を「ア・カッペッラ(a Cappella(伊)=礼拝堂風)」すなわちアカペラと呼ぶようになったそうです。

【演奏ピッチについて】

 中世・ルネサンスからバロックの音楽を演奏するに当たり、避けて通れないのが演奏ピッチの問題です。
ヒストリカルな楽器やピッチを用いることは、作曲家がその当時イメージした音楽世界(イメージ)をできるだけ虚飾無く再現するための手法です。

 現在は標準ピッチがA=440(ラの音が440ヘルツの高さ:1939年のロンドン国際会議で決められました。)ですが、バッハなどのバロック時代は今より約半音低いA=415であったことはご存じの方も多いと思います。これは、当時の音叉や楽器、各時代に建造された教会のオルガンのピッチを調べてみて判断できることです。同じようなことから、モーツァルトの時代は概ねA=430であったといわれています。

 これが、モンテヴェルディの時代になるとA=466。これはA=440のほぼ半音上になります。このピッチについても、ヴェネツィアのピッチであり、都市が変わるとそこの標準ピッチも変わったようです。
 ですから各地をさまよう管楽器奏者は、いろいろな長さの換え管を携えていました。
 このようなことから、古楽器(オリジナル或いはそれを模したヒストリカルな楽器)による演奏には、CDの解説に演奏に使用した楽器の製作年代や都市、ピッチが記される場合があります。

音名と階名について

 音符の「ド」の音は、「C(又は「ハ音」)」と言ったり、「ド」と言ったりしますね。
 ドレミの音符をラの音を基準として「A,B(H),C,D,E,F,G,」と呼ぶのが「音名」で、それぞれ固有の音を指すときに使います。日本では「A」から順に「イ音、ロ音、ハ音…」と固有の音名を付けました。
 これに対して、「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド」という呼び方が「階名」で、音の相互の関係を示すときに使います。

【音名の成り立ち】

 ヨーロッパでは、古代ギリシャの音名に倣(なら)い、古くから1オクターブの12音の中で7つの音を使って音楽を組み立てていました。その組み合わせはいろいろあったようですが、このうち標準となったものが、基準になる音(a=ラ)から、下に向け「全音、全音、半音」の4度を2つ重ね、さらに全音1つを足すことで1オクターブが完成するという「ディアトニック音階」の手法で、ピアノの白鍵はこの音階を表しています。
 音の固有の高さを示す音名は、この基になる「ラ」に相当する高さの音をAと定め、上(高い音)に向かって順にABCDEFGと名前をふることで成立しました。

 ですから、ここでいう「B」の音は、シ(ナチュラル)で、シ・フラットではないことに注意して下さい。
 ちなみに、日本のクラシック関係者は「シ(ナチュラル)」を「H(ハー)」といいますね。このように言う(表現する)のはドイツと、ドイツから西洋音楽を学んだ日本(のクラシック関係者)だけだそうです。

階名の成り立ち

 階名である「ドレミ」は、グイード・ダレッツォ(イタリア:990年頃生まれ)が「聖ヨハネの夕べの祈り」の賛歌(Hymunus)の曲の各節の頭の音が1音ずつ順に上がっていくことを利用して、その最初の言葉を音を示す名前に利用したものとされています。
 元は「Ut、Re、Mi、Fa、Sol、La」と言っていましたが、次第に最初のUt(ウト)が、Dominus(支配者、主)の「ド」と変わったと言われています。
 この階名は、6音から成るため「6」という意味の「ヘクサ」から「ヘクサコード」と言われていました。

 最初、元の歌の都合で「シ」の音がなく、「ウト、レ、ミ、ファ、ソル、ラ」までしか使えませんでした。それ以上の音を歌いたいときは、「ミ−ファ」の半音をちょうど「シ−ド」の半音に充(あ)てることを利用して、「ソ」を「ウト」に読み替えて、ソの音からまた「ウト、レ、ミ、ファ、ソル、ラ」と歌ったのでした。この読み替えは「変換(mutatio)」と言います。
 その後、誰かが「シ」に相当する音を名付ければ、いちいち読み替えなくても良いことに気づき、この音に賛歌(Hymunus)の最後の歌詞の「Sancti Iohanes(サンクティ ヨハネス=聖なるヨハネ)」のSとIを組み合わせた「Si(シ)」と名付け、今の「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド」という1オクターブにわたる呼び方が成立したそうです。

 こうした「ウト,レ,ミ・・・」は、要するにソルミゼーション(階名唱法)のためのものですから,全音−全音−半音−全音−全音という音程関係(すなわち先に述べた「ヘクサコード」)にすぎないわけです。
 従って、「Ut(ウト)」はハ音(C)だけでなく、ヘ音(F)、ト音(G)にもなるわけですから、この点が、各音の固有の音名「C,D,E…」(鍵盤と結びついた絶対音高)との違いで、両者は直接は関係ないということになるわけです。

オクターブという言葉について】

 8度音程を示す「オクターブ」の「オクト:Octo」とは、ラテン語で「8」という意味です。だから8本足の「タコ」は「オクトパス」で「八角形」は「オクタゴン」。ちなみにアメリカ国防総省は、5角形をした建物から「五角形」という意味の「ペンタゴン」と呼ばれ、パソコンでも、インテルはi486の次の第5世代CPUを「ペンティアム」としましたね。
 でも10月を「オクトーバー」というのはなぜ? 実は古代ヨーロッパの暦の上ではMartius(3月)を年の始めとしていたのでちょうど8番目の月だったそうです。しかし、紀元前153年以降、Januarius(1月)を年の始めにする事に改めたのに、名前を変えなかったため、10番目の月がオクトーバーになってしまったそうです。

 日本でも「睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走」と表現しますが、各月はそれぞれ生活や年中行事に密着していた「季節の頃合い」を固有の名前と共に示していたものでしょうから、どれを始めにするかはあまり意味のないことだったのでしょうね。
 しかし、現代日本のように1月、2月と番号で呼ぶのは便利ではありますが、固有の月に対する愛着は、わきにくいですね。

調律法の基礎知識】 →別冊/調律法基礎知識へ (2009.08.29補筆)

 皆さんは、現代の音楽シーンで誰でも使っている「平均律」が、本当は非常に特殊な調律法であり、特に第3度を含む和声的な音楽には不向きであることはご存じでしょうか。
 今回は、なぜ「平均律」ではいけないのか、「平均律」以前の、「ピタゴラス音律」や「アロンのミーントーン」「キルンベルガーの第三調律法」など、中世、ルネサンス、バロック時代などの、様々な調律法や音律について、別冊で詳しく解説しましょう。

【バッハの平均律クラヴィーア曲集と平均律について】

 バッハの数ある器楽曲のうち「平均律クラヴィーア曲集」は大変有名ですね。でもちょっと待って下さい。原題は「Das Wohltemperiertes Klavier」。Wohltemperiertesとは「ちょうど良く調律された」というような言葉で、「平均律(独:gleichstufigen Stimmung 英:Equal temperament)」とは異なります。
 日本では、平均律はどの調でも均等に弾けるというニュアンスから、バッハが、全ての調性を均等に弾ける「平均律」を用いて、全ての調性についての曲集を作曲したと解釈されて(そのような言葉「平均律」が充てられて)いますね。
 しかし、本当にそうでしょうか?
 実は当時のクラビーア(クラヴィーアとは「鍵盤楽器」ですが、当時は基本的にチェンバロを指すようです)は、自分で調律をしながら演奏したようですが、基本的には5度か3度の音など、どこかの音を純正にして調律したものです。その結果多くの調性の曲を演奏できる調律法が開発され、キルンベルガーやヴェルクマイスターの調律法が生まれました。
 バッハは、これらの調律法により、12音階の全てについて各調性ごとに変化する美しい音色を作曲して見せ、「Wohltemperiertes」と表現したのだという説が正しいように思われます。

即興演奏(インプロビゼーション)という言葉について】

 即興で演奏することを「インプロビゼーションimprovisation」といいます。英語では、「即席に作る[行う]こと、即興演奏」というような訳が出てきます。
 一方、JAZZなどで、テーマのあと自由に演奏することを世間で「アドリブ」と言いますね。「アドリブ」とは、英語で「ad-lib」と書きますが、正確には「ad libitum 」を略したもの。これは音楽用語で「随意に」という意味ですが、さらに辿れば「自由に」「任意に」を意味するラテン語「ad libitum」が語源です。
 日本では、即興演奏のことをインプロビゼーションと同義でアドリブという言葉を充てることが一般的なようですが、スタジオで自由にトークするときは「アドリブ」で、即興で演奏するときは「インプロビゼーション」っていう感じでしょうか。




2.楽器知識編  ページのトップへ戻る

バロックヴァイオリンの構造について】

 古楽の世界で使用されるバロックヴァイオリンは、現代のモダンヴァイオリンとどのように異なるのでしょうか。
 今から30年近く前、1980年頃は日本では古楽オーケストラの黎明期で、奏者に渡すバロックヴァイオリンを調達するため、日本人で初めてヴァイオリン製作のマイスターを取得した無量塔蔵六(むらたぞうろく)さんのもとへ足繁く通い、楽器の調達がてら、いろいろ教えていただきました。

構造上では、モダン楽器に比べ概ね次のような相違点があります。
1.まず、弦が、羊の腸でできたガット弦を使用すること。現代のスチール弦と異なりテンションは大変弱く、湿度、温度の変化にも弱いですね。

2.弓は、現代の逆ぞりではなく、まさに弓なりになっていること。モダンの弓は逆ぞりですから張れば張るほど弓の真ん中がたいらになり、強いテンションが得られます。一方バロックヴァイオリンは、弓を張っていくと真ん中が山なりになるため、強いテンションがかけられません。

3.弦を支える駒が低いこと。

4.ヴァイオリン本体の表板の内側にある力木(バスバー)がモダン楽器より細く、繊細なこと。

 1と2、3までは、ヴァイオリンの周辺の造りですから弦を張り替えたり弓を換えたりすれば済みますね。ところが、ストラディヴァリウスやガルネリなど、オリジナルなものでも、モダン楽器として使用されているものは、本体にも大改造が加えられています。つまり、スチール弦の強いテンションに耐え、最も良いバランスで力強く鳴らすため、ヴァイオリン本体の表板の内側にある力木(バスバー)が太いものに変えられているのです。

 ちなみに、タルティーニ(1692-1770)の時代には、4弦の圧力は63ポンドだったものが、1900年にはピッチの上昇などにより、既に82ポンドになっていたそうです。このため、ストラディヴァリウスなど古い楽器の楽器寿命は著しく縮められていると警告するヴァイオリン制作者もいます。

 このほか、ネックの長さ、魂柱の強さなど様々な違いがありますが、詳しくは無量塔蔵六著「ヴァイオリン」(岩波新書)の46頁にまとめられていますのでご覧下さい。

 オリジナルな楽器を入手した場合も、モダンヴァイオリンとして使用されていた場合は、弦、弓、駒とともに、バスバーも細いものに変え、響きのバランスを調整しなければならないのですね。

チェンバロの呼び名について】 

チェンバロは日本ではいろいろに呼ばれていますね。でも、みな同じ。
少し整理してみましょう。

イタリア語  チェンバロ  Cembalo  
英   語  ハープシコード  Harpsichord 
フランス語  クラブサン  Clavecin  
ドイツ語  クラビチェンバロ   Clavecembalo 

チェンバロの構造やメンテナンス、調律法については、野村満男氏の「チェンバロの保守と調律」(東京コレギウム出版)という大変詳しい本があります。

コルネット(Cornetto)について】

 皆さんは、コルネットというと、柔らかい音の出る小型のトランペットを思い浮かべるでしょう。しかし、ルネサンス・バロック時代の「コルネット」は、まったく異なる楽器で、現代では死に絶えてしまったものですが、バロック以前の教会音楽の演奏には欠かすことのできない楽器です。
 コルネットはイタリアでの呼び名で、ドイツ語では「ツィンク(Zink)」。トランペットのようなマウスピースと縦笛のような6穴の木管部分が組合わさった楽器で、コルネットとは、その曲った形状から、原語のコルノ(角)に由来します。
特に、残響の多い教会での器楽演奏には必須の楽器で、教会で使用されると人間の声のように柔らかく、かつ、すきとおった良くとおる独特の響きがします。中世からバロック時代までヨーロッパ全域で使われていましたが、その黄金時代は何といっても17世紀初頭(1600年頃)のイタリアでしょう。

 ところで、今も昔も人の心を一番揺さぶるのは人の声です。当時の楽器は、いかにして人間の声に近づくことができるかが課題でした。コルネットは人の声のような微妙な表現と、柔らかくかつ透明な良くとおる音色を出すことが可能で、当時の作曲家は旋律部分に「ヴァイオリン又はコルネット」と指定する場合が多くありました。
 ラ・ヴォーチェ・オルフィカの指揮者である濱田芳通氏は、コルネット奏者としてヨーロッパ各地のレコーディングや演奏会に招かれています。【写真】 

サクバット(Sackbut)について】

 サクバットは、トロンボーンの原型となる古楽器です。音の出口(ベル)がトロンボーンよりすぼまっており、全体に細身で小型のものであったため、人間の声に近いやわらかで素朴な音がします。中世からルネサンスの時代は、合唱音楽の定旋律や低声部を重複し、補強する役割が与えられていました。
 トロンボーンの先祖はスライドトランペットで15世紀中頃フランスのブルゴーニュ地方で作られたと考えられています。
 ところで、トランペットをソプラノ声部とした場合、テノール、バリトンの声部を受け持つのがトロンボーンです。トランペットはイタリア語でトロンバと言いますが、トロンボーンとは「大きなトランペット」という意味です。トロンボーンはその荘重な音色から「神聖な楽器」「荘厳な楽器」として、後のレクイエムやオペラの荘重な場面で用いられました。【写真】

ヴィオラ・ダ・ガンバ(Viola da gamba)について】

 チェロに似たヴィオール族の古楽器。 「ガンバ」とはイタリア語で足の「ひざ」のこと。すなわち「ひざに挟んで弾くヴィオール」という意味です。これと同様に「ヴィオラ・ダ・ブラッチョ」という楽器がありましたが、「ブラッチョ」とは「腕」のこと。すなわち、ヴァイオリンのように「腕に抱えて弾くヴィオール」という意味です。【写真】

【コントラバスはヴァイオリンの一族?】

 オーケストラの弦楽器は高い音域から「ヴァイオリン」「ヴィオラ」「チェロ」「コントラバス」が受け持っていますが、実はこのうちコントラバスだけは、「ヴァイオリン族」の兄弟ではなく、「ヴィオール族」という違う種類の楽器です。
 「ヴァイオリン族」は、形の上で・怒り肩で、・背板(楽器の裏側の板)が膨らんでおり、・調弦は5度(隣あう弦の音の高さが、5度=ド−ソの関係)で行いますが、「ヴィオール族」のコントラバスは、形は・なで肩、・背板はまっ平で、・調弦は4度(ド−ファの関係)が主です。
 古いコントラバスは、「ヴィオローネ」と呼ばれ、ギターのようなフレッドがついています。

【トレモロとピチカートの始まり】

 ヴァイオリンの弓を短く上下させる「トレモロ」と指で弦を弾き軽快な音を出す「ピチカート」奏法は、モンテヴェルディが歌劇「タンクレーディとクロリンダの戦い」(1624年)で初めて採用しました。
 演奏技法の開発や音色を表現手段の一つとして取り入れた点で、その後の音楽表現に与えた影響はとても大きなものです。こうしたことからも音の表現そのものに劇的な効果を求めたモンテヴェルディという作曲家の存在の大きさを思い知ります。
 ちなみに、モンテヴェルディ自身の記述によると、ひたすら懇願し、その必要性を繰り返し説明し、やっと演奏してもらえたそうです。



3.時代様式、作曲家編  ページのトップへ戻る

カントゥスフィルムス(cantus firmus:定旋律)について

 中世、ルネサンス時代の宗教曲を演奏したり聴いたりする場合、欠かせないのが「カントゥスフィルムス=定旋律」を知ること。
 多声音楽で一番大切なテノールは、グレゴリオ聖歌の旋律を歌い、他のパートはいろいろな装飾を行うようになりました。こうしたことから、この多声の楽曲の基礎として用いられた旋律は「cantus firmus 確固とした歌」と呼ばれました。

グレゴリオ聖歌について】

 グレゴリオ聖歌とは、ローマ教会に現在まで伝えられている聖歌が、7世紀初頭のローマ教皇グレゴリウス1世(在位590-604年)により創始又は編纂されたとの言い伝えからこのように呼ばれているものです。しかし、現在に伝承されているグレゴリオ聖歌が7世紀グレゴリウス1世により作られたという確証はありません。

 グレゴリオ聖歌は、よくヨーロッパ音楽の起源と言われますが、ヨーロッパ音楽とその他の世界の民族音楽とのちがいを語るとき、その際だった特徴として3度の音程の使用があげられます。アルプスの向こう側、ヨーロッパ北西部の人々がキリスト教に改宗したのが5−9世紀ごろですが、3−5世紀に成立した東方教会聖歌(オリエント)に多くの起源を持つ聖歌が、アルプスの北側ヨーロッパの影響による3度の音程を用いた旋律線の導入により、グレゴリオ聖歌として集大成されたようです。

 ところで、グレゴリオ聖歌は「ネウマ譜(Neuma)」という独特の楽譜で記されていますが、現在知られる一番古いネウマ譜でも8−9世紀と言われています。また、初期のネウマは旋律の上行、下行は示していますが、音程やリズムまでは明示されていません。やがて11世紀までにグイード・ダレッツォの考案した4線譜によるネウマが記されるようになってもリズムは不明確なままです。
 ですからその歌い方も様々で、19世紀にグレゴリオ聖歌の正確な歌い方を研究して、その復興に貢献したフランスのソレム修道院による「ソレム唱法」が有名ですが、その他にもいろいろな唱法が各地の教会に伝承されているようです。

 ところで、ネウマの語源は、ギリシア語の「ト・ネウマ」(「目配せ」「暗示」「記号」)の意味で、教師が歌曲を教えるとき手や目で暗示を示しつつ、生徒にその趣旨を示したところから由来すると言われています。音楽の本質は単に音符を音に変換することではなく、情念を伝える縁(よすが)ですから、このネウマの元々の意味は含蓄に富んでいますね。

オルガヌム(Organum)について】

 教会音楽にふれているとたびたび「オルガヌム」という言葉にであいます。これは従来の単旋律聖歌に対して、11世紀(紀元1000年)ころから記録に残る多声単旋聖歌の旋律に第2の声部(オルガヌム声部)が重ねられることをいいます。
 オルガヌムという言葉の用いられ方はその後拡大されて、時には13世紀半ばごろまでのグレゴリオ聖歌に基づいたあらゆる多声音楽を示す一般的な用語として用いられました。なお、「オルガヌム」は、楽器一般を示すラテン語でもあり、また、特にオルガンを意味しているのでこれらの異なったいろいろな意味を混同しないように気をつける必要があります。

ドローン(Drone)について】 NEW!!

ドローンとは、中世音楽や民族音楽などでずっと同じ音程で鳴っている低音の持続音をいいます。ジャズのキース・ジャレット・トリオの演奏*でも同じ音程の持続音がずっと演奏されるものがありますが、時代を超えて音楽が即興で産み出される揺りかごかもしれません。
*「Keith Jarrett at The Blue Note」 Vol.4に納められている「I Fall In Love Too Easily」など

【晩課=ヴェスプロ Vespersについて】

教会の主要な典礼として「聖務日課」があります。聖務日課は公的な日課として定められている祈りで一日八つの時課から成る典礼形式をもち、このうち日没、午後6時に行われるのが「晩課」です。(詳しい解説へ
  1.朝 課(Matutinum)夜中
  2.賛 歌(Laudes)日の出、午前6時
  3.一時課(Prima)午前7時
  4.三時課(Tertia)午前9時
  5.六時課(Sexta)正午
  6.九時課(Nona)午後3時
  7.晩 課(Vespers)日没、午後6時
  8.終 課(Compretorium)就寝時

マニフィカートについて

 マニフィカート(Magnificat)は、ミサと並行して毎日行う「聖務日課」の「晩課」の後半に行われる賛歌です。「聖母マリアのカンティクム」とも言われます。
 新約聖書「ルカによる福音書(1-47-55)」で、受胎告知を受けた聖母マリアが主を讃えて歌うよろこびに満ちた歌です。15〜16世紀になると、たくさんの作曲家が膨大な数のマニフィカートを作曲しました。
 モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」でも壮大なマニフィカートが終曲となっています。

ファルソボルドーネについて

 ファルソボルドーネ(伊:Falsobordone)とは、中世期に行われた、一種の和声法で、定旋律の上方に3度または6度の音程をおいた曲のことをいいます。フランス語ではフォ・ブールドン(Faux bourdon)、英語ではファバードン(Faburden)といいます。
 モンテヴェルディは、聖母マリアの夕べの祈り(Vespro della beata Vergine 1610)で、随所に取り入れています。

【ルネサンス期のスペイン音楽について】

 イベリア半島にあるスペインは、地理的にピレネー山脈によりヨーロッパとは切り離されていました。イベリア半島の一部(グラナダ)には実に16世紀直前(1492年)まで800年にわたりイスラム教の勢力がありました。そして、音楽的には16世紀から17世紀初頭にかけて、他のいかなる国をもしのぐ隆盛を迎え、また、ルネサンス期の終わりと共に瞬く間にその姿を消してしまいました。

 その隆盛をもたらしたのが、C.モラレス(1500-1553)、F.ゲレーロ(1527−1599)、T.ヴィクトリア(1548−1611)の3人の天才作曲家です。さらに器楽のジャンルでは「スペインのバッハ」と称されるカベゾン(1510−1566)がヨーロッパ各地に影響を与えていました。
 スペインの音楽的隆盛は、無敵艦隊の敗北と共に終わりを告げたようです。ところで、日本へ初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル(1506-1552)は、まさに同時代のスペイン人なのですね。

アントニオ・デ・カベソン(Antonio de Cabezon)について】

 クリストバル・デ・モラレスと同じ時代にスペインのブルゴス近辺に生まれ、王家に仕えた作曲家(1510-1566)です。カベソンは裕福な地主の家に生まれ、幼い頃に病気で視力を失いました。音楽教育は、地元の教会オルガニストの一人から手ほどきを受け、ついで北スペインの町、パレンシアに住んでいた一族の有力者エスティバン・マルティネス・デ・カベゾンのもとへ引き取られ、そこで音楽を続けました。
 オルガン演奏と作曲に天才的な腕前を示し、カルロス5世の妃イサベラや国王フェリペ2世などの宮廷で重用されました。彼の息子エルナンド(1541〜1602)も優れた音楽家として宮廷に仕えたほか、父の残した作品をまとめて出版する役を果たしています。
 第15回公演プログラムではカベソンが他の作曲家の世俗曲に変奏を施した作品を取り上げました。

モンテヴェルディという作曲家について】

 初めてこの名を聞いた方は19世紀イタリアの大作曲家「ヴェルディ」と聞き間違えますよね。こちらは同じイタリアでもヴェルディより150年ほど前に生まれた「モンテ(山)ヴェルディ(青い)=青山」さんです。
 クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi)は、16世紀後半から17世紀前半にかけて活躍した初期バロックの大作曲家です。

 1567年にヴァイオリン製作の地として有名なイタリアのクレモナに生まれ、マントヴァのゴンザーガという領主の宮廷楽長として活躍の後、海の都ヴェネツィアの「サンマルコ大聖堂」の楽長として活躍し、1643年その生涯を閉じました。
 彼がその後のヨーロッパ音楽の発展に果たした役割は大変大きく、簡単に言えば、それまでの旋律で音楽を感じさせる「旋律中心の音楽」を、和声の進行の中で音楽を感じさせる近代的な音楽の姿を示したのでした。

 具体的には、モンテヴェルディ以前のいわゆる「ルネサンス音楽」は、フランドル出身の音楽家たちが得意としたポリフォニー(音楽の各声部が横に重なるように歌われ、その中で色々なハーモニーが「醸し出される」様式)を中心とした音楽でしたが、モンテヴェルディは、通奏低音を基本とした和声の進行を重視した近代的な音楽への扉を開いたのでした。
 モンテヴェルディ自身、それまでのポリフォニーの様式を「第1作法」と呼び、彼のハーモニー重視で不協和音などの使用で感情を表出した技法を「第2作法」と呼んで、当時の音楽評論家たちと論争を行いました。
 また、彼が作曲した「オルフェオ(1607年)」は、その後大きく発展した「オペラ」の最初の本格的作品として有名です。

 サンマルコ大聖堂でモンテヴェルディの助手を務め、後任の楽長となったのがジョヴァンニ・ロヴェッタです。ヴォーチェでは、濱田先生が留学中に入手したロヴェッタの「聖母マリアの夕べの祈り」の原曲譜(定量白符のファクシミリ)を用いて、92年7月ロヴェッタの「聖母マリアの夕べの祈り」を日本初演しました。
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ジョスカン・デ・プレという作曲家について】

 ジョスカン・デ・プレ(Josquin des Prez 1440ころ〜1521)は、フランドル楽派最高の作曲家で、同時代の人から「音楽の父」「最上の作曲家」といわれました。マルティン・ルターも「彼は音符の主である」と記しています。
 ジョスカンの曲はミサ曲約20曲、モテト約100曲、シャンソンなど世俗声楽曲約70曲が印刷物として残されています。
 ジョスカンは、音楽を詩の意味に合わせるために色々技法を尽くし、同時代の人に賞賛されていました。この言葉を描写的に描き出そうとする手法で大きな評価を得たのも、ジョスカンが中世から近世への過渡期の作曲家であり、その時代の常識をうち破った天才だからなしえたことなのでしょう。
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キリスト教と宗教音楽について】

 みなさんご存じのとおり、キリスト教は大きく「カソリック」と「プロテスタント」に分かれています。(この他オーソドックスと呼ばれる「正教会」を含め、キリスト教の3大宗派と言われています)
 プロテスタントは、ドイツのマルティン・ルター(1483-1584)が、贖罪(しょくざい)もお金次第となっていた当時の教会聖職者の堕落ぶりに憤り、教義に疑問を抱いてプロテスト(抗議)し、そこから分離したキリスト教各派をいいます。

 こうしたことからプロテスタントは、教会や司教を中心とした様々な教義と、マリア信仰に飾られた教会儀礼を排し、聖書の言葉に忠実であることに徹し、聖典礼(サクラメント)を洗礼と聖餐のみに限定したので、カソリック教会の典礼であるミサ通常文による「ミサ曲」はプロテスタントには存在しません。
 ただしプロテスタントの創始者ルターは、音楽をとても愛し、また音楽の教育的、倫理的な力を強く信じていたので、たくさんのコラール(会衆によって歌われるドイツ語の有節賛歌)を作曲したことでも有名です。プロテスタントでは、聖書の言葉に題材を求めたオラトリオ(宗教的楽劇)やカンタータ、受難曲などが演奏されます。

 ところで、バッハ(J.S.Bach)は、バリバリのプロテスタント信者なのに、宗教曲の最高傑作の一つといわれるカソリックの典礼音楽「ミサ曲ロ短調」を作曲しています。ただしこれも全体を1曲として最初から作曲されたものではなく、バッハの生涯の様々な時期に作曲された各楽章を集大成したものです。おそらく作曲家バッハとしては、神に仕える音楽に宗派の違いはなかったのでしょう。

ラテン語について 

 現在では、ラテン語は一般にミサなど宗教儀式の中でしか使用されない死語となっています。しかし、ヨーロッパ統合の流れの中で、国境を越えた共通な母胎となる言語として、最近見直されているようですね。
 ラテン語は、もともとイタリア半島中部西岸のテヴェレ川流域の「ラティウム地方」の一方言でしたが、この地を中心とするローマ帝国の隆盛と共に、主に教会を中心として各地に伝播し、共通語としての地位を確立しました。

 このなかで、皆さんにも馴染みの言葉や、宗教曲(ミサの典礼文)に良く出てくる基礎的な言葉をいくつか紹介しましょう。
 発音のしかたは、それこそほとんどローマ字読みです。ただし、ラテン語は「性、数、格」により語尾変化がありますのでこれが少々やっかいです。でも、どこかで聞いたような言葉がたくさんありますね。(参考:レクイエム発音講座へ)
(参考ホームページ:山下太郎さんのホームページR&M合唱音楽研究所のラテン語のページ

神などに関する言葉
Deus
Dominus
Pater 父(=神)
Filius 息子(=イエス・キリスト)
Spiritus 精霊、心、魂
Christus キリスト(聖油を注がれた者の意)
Iesus イエス・キリスト
Mater 母(聖母マリア)
人に関する言葉
ego(me) 私、自分(1人称)
tu(te) あなた(2人称)
video(visus) 見る
audio 聞く
vita 生命
mors(mortis)
nomen 名前
rex
populus 人々、国民
事象に関する言葉
caelum
terra
dies
pax(pacis) 平和
形容に関する言葉
bonus 良い (→malus:悪い) 
magnus 大きい (→parvus:小さい)
novus 新しい (→vetus:古い)
libero 自由、解放
その他
et そして(and)
ne すら…ない、ないように
non ない

アレルヤ(Alleruia)とは】 

 アレルヤとは「神をたたえよう」という意味のヘブライ語で、教会では喜びの表現として用いてきました。日本ではヘンデルの「メサイヤ」の「ハレルヤコーラス」でお馴染みの方が多いでしょうね。

ヴェネツィアという都市について】

 皆さんは、ヴェネツィアと聞くと何を思い浮かべますか?「水の都」やゴンドラなどでしょうか?或いはシェークスピアの「ベニスの商人」を思い浮かべ、あまり良い印象をお持ちでない方もいらっしゃるでしょう。
 私にとってのヴェネツィアは、塩野七生さんの「海の都の物語」に描かれた、「アドリア海の女王」と賞され、地中海を舞台に、西暦800年からナポレオンに征服される1800年ころ(1797年)までの千年もの間、共和制を維持した海洋都市国家という素晴らしいイメージです。

 ラグーナといわれる干潟に人工地盤を築いてできあがった、土地も人的資源もない都市国家のヴェネツィアは、それこそある時は屈服し、ある時は敵と手を結び、ある時は強面に出る外交手腕で共和国として生き残り、また繁栄したのでした。市民から選出された「ドージェ(元首)」を先頭に、強大なイスラム国家や頑迷なキリスト教国家を相手に、それこそありとあらゆる政治手法と自らの命を賭して、商業権益を守り続けました。これが本当の貿易国家でしょう。

 このように全てを海に頼ったヴェネツィアでは、年に一度、ドージェが海に指輪を投げ入れる、海とヴェネツィアとの結婚の儀式を行いました。また、文明の中心がまだエジプトやコンスタンチノープルなど、地中海の東岸、アジアとの接点にあった当時、これら世界の最先端の文化や芸術のヨーロッパ世界への窓口となったのがヴェネツィアでした。
 この海洋都市の中核にあるのが「サン・マルコ大聖堂」なのです。モンテヴェルディは、世界で一番富があると言われたヴェネツィア共和国から、サン・マルコ大聖堂の楽長として迎えられたのでした。

 モンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」の9番では、聖母マリアと海(maria)を掛けて、これを讃えたテノールのソロと、第二テノールの韻を踏んだエコーとの、この上なく美しい二重唱が歌われます。歴史の背景を知ると曲がずっと身近になりますね。

 ところで、日本もよく「貿易国」と言われますが、本当でしょうか?柳のような柔軟な外交手腕で千年もの間共和制を守ったヴェネツィアに比べると、日本は戦後の幸運な国際経済環境下で、たまたま貿易がうまくいっていただけですね。現在のような行き詰まった国際環境下で、二枚腰、三枚腰で国家を経営するような才覚は日本人にはないのでしょう。ヴェネツィアに比べてみれば、ずっと鎖国を続け他国との外交駆け引きもしたことがなく、先の第2次大戦では玉砕覚悟で戦争に猪突猛進してしまったのも、異文化との外交下手の島国故なのですね。

音楽はドイツから始まる?−歪められた音楽史−

 日本では、バッハの人気が圧倒的ですね。今の大人が子供の頃は、クラシック音楽はバッハから始まったかのような音楽教育を受けました。(今でもそうかな?) また、3Bといわれるように、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスなど、クラシック界では圧倒的にドイツ、オーストリアものが有名で人気があります。
 なぜ日本ではこのように、ドイツを中心とした音楽観が成立したのでしょうか?

 ところで、ヨーロッパでは、ドイツは19世紀半ばまで音楽の後進国というレッテルが貼られていました。
 現実に、ベートーヴェンにしても、彼が活躍した19世紀初頭のヨーロッパでは、ウィーンで活躍していた1作曲家という局地現象で、そのころのヨーロッパの多くの国では、イタリア人作曲家によるオペラが、イタリア人演奏家により演奏されていました。(石井 宏「音楽意外史」)
 その音楽後進国ドイツが、逆襲に転じるのがナポレオンを破った(1870)鉄血宰相ビスマルク率いるプロイセン王国の台頭でした。

 もともとヘーゲルの弁証法を基礎に、哲学など学問体系に秀でていたドイツは、一大帝国を築いた時に、長年田舎者と見られていたドイツ観を一気に晴らすべく、器楽に偏重し、バッハを音楽の父とした「音楽史」を新たに構築し、その後100年にわたりこのドイツ優位の音楽史観を世界の人々に広めたのでした。
 ちょうどその頃、明治政府は脱亜入欧の手本として主にドイツ帝国から知識、教養を輸入したのでした。ですから、音楽や医学はドイツの学問体系をそのまま移入し、日本人は無類のドイツ音楽ひいきの国民となりました。

 このように、日本に輸入された「音楽史」は、歴史上のイタリア優位の音楽の流れを否認し、ドイツ優位の虚像を確立するために書かれた、公平性を欠いたものである事を理解する必要があります。だから多くの日本人にとって、バッハより以前の宝石のように輝く音楽は、最初から存在していないのです。
 もちろんこのような「ドイツ製音楽史」によって歴史的事実が歪められたからといって、バッハやベートーヴェンの音楽が素晴らしいという事実を否定するものではありません。

 それではなぜ19世紀以前のドイツは音楽後進国といわれ、目立った作曲家が出なかったのでしょうか? もちろん、ルネサンス以来、文化、音楽の中心はイタリアにあり、その意味ではドイツは地理的にも辺境の地にありました。しかしそれだけではなさそうに思います。

 音楽の中心はずっと声にありました。さまざまな楽器は、どれだけ人間の声に近づくことができるかが問われ、発達してきました。音楽は、もともと歌、すなわち言葉の流れから生まれてきました。イタリア語やフランス語などラテン系の言語は、語るだけで歌っているように聞こえる事があります。その点、ドイツ語が持つイントネーションは、圧倒的に拍節的ですね。
 これが、音楽の中心が器楽に移るまで「アルプスより北には音楽がない」と語られた根元の理由ではないでしょうか。

【サン・マルコ寺院とモンテヴェルディについて】

 モンテヴェルディが活躍した都市国家ヴェネツィアのシンボルとしての教会が「サン・マルコ寺院(大聖堂)」です。
 他国では主たる教会といえばローマ法王の支配下にある司教の「座所(=カテドラル)」のある教会に限られていたのに対し、サン・マルコ寺院は、ヴェネツィアの元首(ドージェ)の個人礼拝堂として、9世紀から11世紀にかけて建てられました。
 このサン・マルコ寺院には、祭壇の左右に対照的に聖歌隊席とオルガンが設けられていたことから、聖歌隊や楽隊を左右に分けた華やかなステレオ効果の教会音楽が、ジョバンニ・ガブリエリ(1555or57〜1612)により完成されました。
 「聖母マリアの夕べの祈り」の作曲動機には諸説あるようですが、ヴェネツィアのシンボルである「海(maria)」と聖母マリア(Maria)を、韻を踏んでイメージさせる「Audi Coelum」(第9曲)や、「Nisi Dominus」(第8曲)のような壮麗な二重コーラスが採用されていることから、当時ヨーロッパで最先端をいくヴェネツィアのサン・マルコ寺院での演奏を意識して作曲したと考えたいですね。

【音楽神「オルフェオ」について】 NEW!!

 私ども「ラ・ヴォーチェ・オルフィカ」の由来となる「オルフェオ(オルフェウス)」は、ギリシャ神話の音楽の神でアポロンのこどもです。
 夏の夜空の大三角形の一つできらきらと青い輝きを放っているのは1等星の「ベガ」。この星は、日本では七夕の「織り姫」として有名ですが、ギリシャ神話では「こと座」。ベガはオルフェオが奏でた竪琴を飾る宝石です。その美しい調べは人間だけでなく森の動物や木々さえも踊らせたと言われています。
 オルフェオの美しい妻で木の精エウリディーチェは、毒蛇に噛まれて黄泉の国へ連れて行かれてしまいます。オルフェオは、エウリディーチェを連れ戻すため、竪琴を手に黄泉の国へ向かい、門番カロンテを歌で眠らせ冥界王プルートの心を動かします。「地上に戻るまで決して振り返ってはならない」と言われますが、途中であまりの心配に後ろを振り返ってしまい、エウリディーチェは黄泉の国へ再びつれて行かれてしまい、オルフェオは野山で死んでしまいます。天の川のほとりに遺されたのが、その竪琴「こと座」です。



         <主な参考文献  ページのトップへ戻る

著  者 書      名
芥川也寸志 音楽の基礎(岩波新書)
井上太郎 レクイエムの歴史
金澤正剛 古楽のすすめ(音楽の友社) おすすめ!
野村満男 チェンバロの保守と調律(東京コレギウム出版)
皆川達夫 中世・ルネサンスの音楽
グラウト 西洋音楽史(音楽の友社)
ブルーメ ルネサンスとバロックの音楽(白水社)
  音楽史ものしり辞典(音楽の友社)
  音楽辞典、羅和辞典、ラテン語基礎1500語

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