17回公演プログラム解説


◆晩課のための音楽
◆≪ヴェスプロ≫の成立
◆affettuosoな音楽
◆楽曲解説
◆演奏にあたって
私の履歴書(Monteverdi)

【解説:杉村 泉(La Voce Orfica)】

◆晩課のための音楽 「聖母マリアの夕べの祈り」≪ヴェスプロ≫

 17世紀の最初の10年は、16世紀とうって変わって、ミサ曲よりも晩課(夕べの祈り)のための音楽が量産された時代であった。晩課はカトリック教会で毎日執り行われる定時の祈り(聖務日課)のひとつで、グレゴリオ聖歌による詩篇の朗唱を中心としている。聖務日課のなかでも古くから音楽的に重要視され、特に重要な聖人の祝日の晩課では、主要な部分が多声曲で置き換えられるようになった。

 構成は以下の通りである。ヴェルススとレスポンソリウムが唱えられた後、5つの詩篇が歌われる。この詩篇は前後にアンティフォナ(交唱)と呼ばれる聖歌を伴っている。詩篇の後、一連の短い聖歌とイムヌス(賛歌)に続いて、アンティフォナを伴ったマニフィカトが歌われて晩課の主要部分は終わる。

 典礼の面で見ると、モンテヴェルディの≪聖母マリアの夕べの祈り≫(以下≪ヴェスプロ≫と表記)は若干問題をはらんでいる。彼はこの作品にモテットやソナタを収めているが、これらの曲は本来晩課の典礼とは関係がないため、その役割については様々な議論がなされてきた。

ヴェルスス―@レスポンソリウム
Ant.T―A詩篇T―Ant.T(BNigra sumで代用)
Ant.U―C詩篇U―Ant.U(DPulchra esで代用)
Ant.V―E詩篇V―Ant.V(FDuo seraphimで代用)
Ant.W―G詩篇W―Ant.W(HAudi Coelumで代用)
Ant.X―I詩篇X―Ant.X(JSonataで代用)
カピトゥルム―レスポンソリウム
Kイムヌス―ヴェルスィクルム
Ant.Y―Lマニフィカト―Ant.Y
*囲み数字はプログラムの番号に対応。  がモンテヴェルディの作曲した部分)
*Ant.=アンティフォナ

 しかし、モテットや器楽曲を詩篇の後のアンティフォナの代用として置く習慣が、同時代の晩課のための作品でもしばしば見られるため、ここでも一連のモテットとソナタが詩篇の後に続くアンティフォナの代用の役割を担っていると考えられている。

◆≪ヴェスプロ≫の成立

 1610年、≪ヴェスプロ≫は≪イン・イッロ・テンポーレに基づく6声のミサ曲≫とともに一冊の曲集に収められ、ヴェネツィアの印刷業者アマディーノによって出版された。

 《イン・イッロ・テンポーレに基づく6声のミサ曲》及び《ヴェスプロ》(1610)のタイトルページ
それまでマドリガーレ集など世俗曲を書いていたモンテヴェルディが突然大規模な教会音楽の創作に乗り出した背景には、どんな事情があったのだろうか。何らかの機会のために委嘱を受けたと考えるのが自然だが、そうしたことを明確に物語る証拠は見つかっていない。

 周辺の状況から見て演奏機会として最も考えられうるのは、楽長ポストが空席となっていたマントヴァのサンタ・バルバラ大聖堂での祝祭である。
 サンタ・バルバラ大聖堂はヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂と同様、独自の典礼様式をもっていたので、通常のローマ・カトリックの典礼と同じ構成をもったモンテヴェルディの作品は、必ずしもバルバラでの典礼用を反映しているとは言い切れない面も確かにあるのだが、前楽長・ガストルディの詩篇にもファルソボルドーネがふんだんに用いられていることなど、マントヴァの教会音楽の伝統に根ざした特徴が少なくない。

 成立の契機はともかく、ローマやヴェネツィアでの職を求めていた当時のモンテヴェルディにとって、結果的にこの出版がヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂楽長への就任に大きく作用したのは事実のようだ。3年後の1613年、前任者の死によって、モンテヴェルディはついに念願の地位を手に入れたのだった。

◆affettuosoな音楽

 ≪ヴェスプロ≫のなかで最も顕著なのは、伝統的な詩篇唱定型tonus psalmorum(グレゴリオ聖歌で歌われる場合の朗唱のパターン)やマニフィカトの聖歌の旋律を定旋律cantus firmusという形に転用し、詩篇・マニフィカト全篇で一貫して用いていることである。
 定旋律は作品の構造や和声を決定づけ、いわば作品全体が定旋律上の壮大なバリエーションを構成している。バリエーションのコンセプトは実に多彩で、定旋律の上に他声部が対位法を展開してゆくタイプ、そしてファルソボルドーネがその代表である。
 ファルソボルドーネは、もともと単声聖歌として唱えられていた詩篇をポリフォニー化した最もシンプルな形で、全声部がひとつの和音上で唱えられる。≪ヴェスプロ≫では、冒頭のレスポンソリウムを除いてリズムは指定されておらず、楽譜には和音と歌詞のみが記されている。

 ≪ヴェスプロ≫のもうひとつの魅力は、主に定旋律に基づかないモテットに見られるようなアヴァンギャルドなスタイルにある。ヴィルトゥオーソ演奏家たちは挙ってマドリガーレやシャンソンを大規模な装飾passaggioや定型化された小さな装飾音型grazieで彩った。そうした装飾はしばしば即興によるものだったが、次第に作曲家自身によって書き記された装飾として定着していく。
 歌詞の内容の劇的な表出という思想に端を発したこのスタイルは、マドリガーレやオペラと同様、この晩課にも導入され、器楽・声楽両者において伝統的な書法と見事に同居している。同時代の音楽家カッチーニは「心のアフェット(affetto/感情、情緒の意)を動かすことが音楽の目的」であると述べたが、モンテヴェルディ自身のアフェットから溢れ出た旋律は、四百年経った今も我々の心に大きな波となって打ち寄せてくるのである。

◆楽曲解説

 ヴェルススの朗唱に続いて始まるDomine ad adiuvandumの器楽パートは、自身のオペラ≪オルフェオ≫の冒頭トッカータの転用である。≪オルフェオ≫ではこのトッカータはハ長調で、ミュートつきトランペットで演奏されるが、当時のトランペットはミュートをつけると音が全音上がる性質をもっていたため、実際には≪ヴェスプロ≫と同じニ長調で鳴り響いていたことになる。

 定旋律の扱い方の多様さという点では群を抜いているのがDixit Dominusである。その手法は3つに大別される。@冒頭のように定旋律そのものが対旋律を伴って模倣の素材として登場するもの。Aファルソボルドーネ。Bバスの定旋律上に展開される2声以上の対位法。定旋律と関連をもたないのは、ファルソボルドーネ後のメリスマとそれに続く器楽のリトルネッロだけである。

 3曲の詩篇が、サン・マルコ大聖堂などでよく使われた形態「二重合唱cori spezzati」の形で書かれている。
 Laudate pueri Dominumの場合、4声ずつのグループにわかれることは滅多になく、むしろ様々な声部間でのデュエットが目立つ。グレゴリオ聖歌を担当する声部が次々と移動していくのもこの曲の特徴である。
 Nisi Dominus
Lauda Jerusalemでは、二重合唱ならではの音響的掛合い効果が存分に生かされている。いずれも定旋律はテノールが受け持つ。聖歌が反復音を歌っている場合でも和声は次々と変化していき、パターン化することがない。
 詩篇の中で異色なのがLaetatus sumである。最大の特徴は、ジャズのベースを彷彿させるようなルッジェーロ風のバス音型である。モンテヴェルディは≪ヴェスプロ≫作曲の数年前、マントヴァ公ヴィンチェンツォ・ゴンザーガのハンガリー遠征に随行しており、ハンガリーの音楽に触発されたと思われる音型も見られる。

 Nigra sumPulchra esは、いずれも雅歌のテクストに基づく。通奏低音付きの世俗歌曲を思わせるようなスタイルで書かれており、アッチェント、トリッロ、グロッポ、バットゥータなど様々な装飾音型を見ることができる。"Surge"(起きよ)という歌詞が上行音階で書かれるなど、レトリック的要素が強い作品である。

 Duo Seraphimのテクストはイザヤ書からの一節と自由詩をあわせたもので、三位一体に纏わる内容で、マリアとは直接は関係がない。"Sanctus"という歌詞にあてられた音型はコーランの朗唱を想起させる。イスラム圏との繋がりが深かった北イタリアの歴史的背景を感じさせる作品である。

 Audi coelumは、モテットの中で唯一合唱が加わる作品である。冒頭はテノールのデュエットで、第1テノールの技巧的なメリスマに第2テノールがエコーで応える。エコーは、17世紀初頭のイタリアで声楽・器楽を問わず頻繁に用いられた技巧で、モンテヴェルディの得意とする手法であった。単なる旋律の模倣に留まらず、maria-Maria, gaudio-audio, benedicam-Dicam, orientalis-Talisというようにテクストにおいてもエコーの効果を追求している。"Omnes!"(諸人よ!)というテノールの呼びかけに応じて6声の合唱が加わる。

 作曲者自身によって正確に8声部の楽器編成が記されたSonata sopra "Sancta Maria ora pro nobis"は、≪ヴェスプロ≫の中でも異彩を放っている。合計11回歌われるソプラノの定旋律の単純さゆえに、次々と楽想が湧き出てくるような器楽パートの多彩さが浮き彫りとなって現れてくる。

 Ave maris stellaでは、グレゴリオ聖歌の旋律がソプラノに置かれた8声の第1節から、4声体と独唱を挟んで最後に再び第7節が第1節と同じ旋律で歌われる。各節間のリトルネッロの楽器は指定されていない。

 モンテヴェルディは≪ヴェスプロ≫のためのMagnificatを2種類書いている。ひとつは7声の合唱と器楽によるもの、もうひとつは6声の合唱と通奏低音だけのものである。本日演奏するのは、器楽合奏を伴った大規模な編成の方である。テクストは全12節あり、全曲を通じて一貫して定旋律が用いられている。定旋律のみのセクションの主役は器楽で、ひとつの旋律から紡ぎ出される作品はそれぞれ全く異なったスタイルをもっており、その多様さには驚かされる。

◆演奏にあたって

 モンテヴェルディ自身が1610年の出版譜の中で指定している楽器は次の通りである。

Violino da brazzo(ヴァイオリン)
Viuola da brazzo(ヴィオラ〜チェロ)
Contrabasso da gamba(ヴィオローネ)
Cornetto(コルネット)
Trombone(サクバット)
Trombone doppio(バス・サクバット)
Fifara(フルート)
Pifara(ショーム)
Flauto(リコーダー)
Organo(オルガン)

さらにこのような大規模な作品には様々な通奏低音楽器が必要とされる。今回は以下の6つの楽器を加えた。

Violetta(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
Liuto(リュート)
Tiorba(テオルボ)
Arpa doppia(トリプル・ハープ)
Fagotto(ファゴット)
Clavicembalo(チェンバロ)

 当時、北イタリアの都市では、町ごとにピッチも異なっていたが、現存する楽器や当時の記述から、a′=460~470Hzが標準であったことがわかっている。今回は、現在の標準ピッチよりも約半音高い466Hzを使用する。
 また、第10曲Lauda Jerusalemと第13曲Magnificatについては、キアヴェッテ(音部記号を通常と異なる組合わせで使用する習慣)が用いられ、他の曲よりも高い音域で書かれていることから、移調して演奏することにした。移調の幅については、アンドリュー・パロットが1984年の論文で4度下げを提唱している。しかし、同時代の文献を見ると、移調の幅には4度や5度以外にも様々な可能性があることが示唆されており、本日は第10曲では全音下げ、第13曲では短3度下げを採用した。

 今回の演奏では、晩課の典礼に則って、アンティフォナやその他の聖歌を含めた形で演奏する。詩篇やマニフィカトは、単声聖歌として歌われる場合には前後のアンティフォナと旋法を一致させることが要求された。しかし、この規則は詩篇・マニフィカトの多声化とともに次第に形骸化していった。
 実際、モンテヴェルディの作曲した5曲の詩篇とマニフィカトの旋法に合致するアンティフォナをもったマリアの祝日は存在しない。そこで、今回はマリアの祝日のひとつである8月5日のアンティフォナを選び、詩篇とのスムーズなつながりを実現するために移調を行った。多くが旧約聖書の雅歌からの引用で、同じ出典のNigra sumやPulchra esの歌詞との関連性をもたせるという意味でも最も相応しいものであると判断した。

私の履歴書 〜モンテヴェルディ編〜>1610年10月現在

名 前 クラウディオ・モンテヴェルディ
生年月日 1567年5月16日クレモナのサンティ・ナザロ・エ・チェルソ教会にて洗礼。現在43歳。父バルダッサーレ(外科医)母マッダレーナ。
現住所 マントヴァ市
e-mail claudio.mo@gonzaga.com
経 歴 1570年代後半 対位法と作曲をインジェニエーリに師事。
1590 マントヴァ・ゴンザーガ家宮廷歌手兼ヴィオール奏者。
1599 宮廷歌手クラウディアと結婚。
1601〜 同宮廷楽長。現在に至る。
主な作品 オペラ≪オルフェオ≫、≪アリアンナ≫、≪マドリガーレ集第1〜5巻≫など多数。
家 族 妻クラウディアが3年前に死去。現在息子たちと三人暮し。(女手が欲しい!)
趣 味 旅行。温泉巡り。(推定)数年前に行ったハンガリーがお気に入り。でも、ヴィンチェンツォ・ゴンザーガ様が旅費を出してくださらなかった。(~_~;)
好みのタイプ ナポリ出身の歌手アドリアーナ・バジーレちゃん(推定)。
健康状態 不良(過労と給料不払いによる精神的苦痛のため)。
志望動機 マントヴァ宮廷の待遇がきわめて悪いため、現在転職を検討中。
希望勤務地 ローマまたはヴェネツィア。

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