【解説:杉村 泉(La Voce Orfica)】
◆ 晩課のための音楽 モンテヴェルディが活躍した17世紀初頭には、教会音楽の中心であるミサ曲を上回るほど、晩課(夕べの祈り)のための音楽が数多くつくられるようになっていた。晩課とは、カトリック教会で毎日執り行われる7つの定時の祈り(聖務日課)のひとつで、グレゴリオ聖歌による詩篇の朗唱を中心としている。聖務日課のなかでも古くから音楽的に重要視され、特に重要な聖人の祝日の晩課では、主要な部分が多声曲で置き換えられるようになった。 構成は以下の通りである。ヴェルススとレスポンソリウムが唱えられた後、5つの詩篇が歌われる。この詩篇は前後にアンティフォナ(交唱)と呼ばれる聖歌を伴っている。詩篇の後、一連の短い聖歌とイムヌス(賛歌)に続いて、アンティフォナを伴ったマニフィカトが歌われて晩課の主要部分は終わる。 典礼の面から見ると、モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》(以下《ヴェスプロ》と表記)の構成は若干問題をはらんでいる。彼はこの作品にモテットやソナタと題する5つの作品を収めているが、これらの曲は本来晩課の典礼とは関係がない。しかし、モテットや器楽曲を詩篇後のアンティフォナの代用として置く習慣が、同時代の作品でもしばしば見られるため、ここでも一連のモテットとソナタが詩篇の後に続くアンティフォナの代用の役割を担っていると考えられている。 晩課の構成とモンテヴェルディの作品の典礼における役割 ヴェルスス-@レスポンソリウム アンティフォナT-A詩篇T-アンティフォナT ( B Nigra sum で代用) アンティフォナU-C詩篇U-アンティフォナU ( D Pulchra es で代用) アンティフォナV-E詩篇V-アンティフォナV ( F Duo seraphim で代用) アンティフォナW-G詩篇W-アンティフォナW ( H Audi Coelum で代用) アンティフォナX-I詩篇X-アンティフォナX ( J Sonata で代用) カピトゥルム Kイムヌス ヴェルスス-レスポンソリウム アンティフォナY-Lマニフィカト-アンティフォナY *太字がモンテヴェルディの作曲した部分 ◆ 《ヴェスプロ》誕生! 《聖母マリアの夕べの祈り》は、《イン・イッロ・テンポーレに基づく6声のミサ曲》とともに一冊の曲集に収められ、1610年にヴェネツィアで出版された。初版譜は、7冊のパートブック、及びPartitura(スコア)とタイトルのついた通通奏低音用楽譜の計8冊からなっている。 当時、モンテヴェルディは北イタリアの町マントヴァのゴンザーガ家宮廷で楽長を務めていた。マントヴァでは教会音楽家として雇われた形跡はなく、マドリガーレ集やオペラがレパートリーの大半を占めていた。その彼が、なぜこのような大規模な教会音楽の創作に取り掛かったのだろうか。何らかの行事などのために委嘱されたと考えるのが自然であるが、実際にこの曲がマントヴァやヴェネツィアで演奏されたという記録は残っていない。 周辺の状況から演奏機会として最も考えられうるのは、楽長ポストが空席となっていたマントヴァのサンタ・バルバラ大聖堂での祝祭である。サンタ・バルバラ大聖堂は独自の典礼様式をもっていたので、通常のローマ・カトリックの典礼と同じ構成をもったモンテヴェルディの作品は、必ずしもバルバラでの典礼用を反映しているとは言い切れない面も確かにあるのだが、前楽長ガストルディの詩篇にもファルソボルドーネがふんだんに用いられていることなど、マントヴァの教会音楽の伝統に根ざした特徴が少なくない。 成立の契機はともかく、ローマやヴェネツィアでの職を求めていた当時のモンテヴェルディにとって、結果的にこの出版がヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂楽長就任に大きく作用したのは間違いない。1613年8月、彼はサン・マルコのオーディションを受けているが、その際の試験(器楽付きミサ曲を指揮するというもの)の出来栄えだけでなく、1610年の出版が影響したらしいことが、当時の記録からもうかがえる。こうして、モンテヴェルディはサン・マルコ大聖堂楽長という最も輝かしいポストを手中にしたのであった。 ◆ 古くて新しい音楽 《ヴェスプロ》のなかで最も顕著なのは、伝統的な詩篇唱定型(グレゴリオ聖歌で歌われる場合の朗唱のパターン)やマニフィカトの聖歌の旋律を定旋律cantus firmus という形に転用し、詩篇・マニフィカトで一貫して用いていることである。 定旋律は作品の構造や和声を決定づけ、作品全体がいわば定旋律上の壮大なバリエーションを構成している。バリエーションのコンセプトは実に多様で、定旋律上に他声部が対位法を展開してゆくタイプ、そしてファルソボルドーネがその代表である。 ファルソボルドーネは、もともと単声聖歌として唱えられていた詩篇をポリフォニー化した最もシンプルな形で、全声部がひとつの和音上で唱えられる。《ヴェスプロ》では、冒頭のレスポンソリウムを除いてリズムは指定されておらず、楽譜には和音と歌詞のみが記されている。 モンテヴェルディは、こうしたあらゆるアイデアを盛り込んで、グレゴリオ聖歌による定旋律という保守的な素材を用いながらも、最も先進的でヴィルトゥオーソ的なスタイルを創り出すことができることを実証したのである。 《ヴェスプロ》のもうひとつの魅力は、主に定旋律に基づかないモテットに見られるようなアバンギャルドな宮廷スタイルにある。当時北イタリア各都市に集まっていた有能なヴィルトゥオーソ演奏家たちは、こぞってマドリガーレやシャンソンを大規模な装飾passaggi や定型化された小さな装飾音型grazie で彩った。そうした装飾はしばしば即興によるものだったが、次第に作曲家自身によって書き記された装飾として定着していく。 歌詞の内容の劇的な表出という思想に端を発したこのスタイルは、マドリガーレやオペラと同様、この晩課にも導入され、器楽・声楽両者において伝統的な書法と見事に同居している。同時代の音楽家カッチーニは「心のアフェット(affetto /感情、情緒の意)を動かすことが音楽の目的」であると述べたが、《ヴェスプロ》は、モンテヴェルディ自身のアフェットが最高の形で表れた作品であると言えるだろう。 ◆ 楽曲解説 ヴェルススの朗唱に続いてコルネットやサクバット(トロンボーン)等による華やかなファンファーレが始まる。このDomine ad adiuvandum の器楽パートは、モンテヴェルディ自身のオペラ《オルフェオ》冒頭のトッカータが転用されたものである。《オルフェオ》ではこのトッカータはハ長調で、ミュート付きトランペットで演奏されるが、当時のトランペットはミュートを付けると音が全音上がる性質をもっていたため、実際には《ヴェスプロ》と同じニ長調で鳴り響いていたことになる。一方合唱は、ファルソボルドーネの形で歌われる。 定旋律の扱い方の多様さという点で群を抜いているのがDixit Dominus である。その手法は3つに大別される。@冒頭のように定旋律そのものが対旋律を伴って模倣の素材として登場するものAファルソボルドーネBバスの定旋律上に展開される2声以上の対位法。定旋律と関連をもたないのは、ファルソボルドーネ後のメリスマとそれに続く器楽のリトルネッロだけである。因みに、このリトルネッロは省略可能と記されている。 3曲の詩篇が、サン・マルコ大聖堂などでよく使われた形態「二重合唱cori spezzati」の形で書かれている。Laudate pueri Dominum の場合、4声ずつのグループにわかれることは滅多になく、むしろ様々な声部間でのデュエットが目立つ。グレゴリオ聖歌を担当する声部が次々と移動していくのもこの曲の特徴である。Nisi Dominus とLauda Ierusalem では、二重合唱ならではの音響的掛合い効果が存分に生かされている。いずれも定旋律はテノールが受け持つ。聖歌が反復音を歌っている場合でも和声は刻々と変化していき、パターン化することがない。 詩篇の中で異色なのがLaetatus sum である。最大の特徴は、ジャズのウォーキング・ベースを思わせるようなバス音型である。モンテヴェルディは《ヴェスプロ》作曲の数年前、マントヴァ公ヴィンチェンツォ・ゴンザーガのハンガリー遠征に随行しており、ハンガリーの音楽に触発されたと思われる音型も見られる。 Nigra sum とPulchra es は、いずれも雅歌のテクストに基づく。通奏低音付きの世俗歌曲を思わせるようなスタイルで書かれており、アッチェント、トリッロ、グロッポ、バットゥータなど様々な装飾音型を見ることができる。“Surge”(立て)という歌詞が上行音階で書かれるなど、レトリック的要素が強い作品である。 Duo Seraphim のテクストはイザヤ書からの一節と自由詩をあわせたもので、三位一体にまつわる内容で、マリアとは直接関係がない。“Sanctus” という歌詞にあてられた音型はコーランの朗唱を想起させ、イスラム圏との繋がりが深かった北イタリアの歴史的背景を感じさせる。Audi coelum は、モテットの中で唯一合唱が加わる作品である。冒頭はテノールのソロで始まり、第1テノールの技巧的なメリスマに第2テノールがエコーで応える。 エコーというアイデアは、17 世紀初頭のイタリアで声楽・器楽を問わず頻繁に用いられ、モンテヴェルディの得意とする手法のひとつであった。単なる旋律の模倣に留まらず、maria-Maria, gaudio-Audio, benedicam-Dicam, orientalis-Talis というようにテクストにおいてもエコーの効果を追求している。“Omnes!” ( 諸人よ! ) というテノールの呼びかけに対して6 声の合唱が応える。 作曲者自身によって正確に8声部の楽器編成が記されたSonatasopra “Sancta Maria ora pro nobis” は、《ヴェスプロ》の中でも異彩を放っている。合計11回繰り返されるソプラノの定旋律の単純さゆえに、次々と楽想が湧き出てくるような器楽パートの多彩さが浮き彫りとなって現れてくる。 Ave Maris stella では、グレゴリオ聖歌の旋律がソプラノに置かれた8声の第1節から、4声体と独唱を挟んで最後に再び第7節が第1節と同じ旋律で歌われる。各節間のリトルネッロの楽器は指定されていない。 モンテヴェルディは《ヴェスプロ》のためのMagnificat を2種類書いている。ひとつは7声の合唱と器楽によるもの、もうひとつは6声の合唱と通奏低音だけのものである。本日演奏するのは、器楽合奏を伴った大規模な編成の方である。テクストは全12 節あり、全曲を通じて一貫して定旋律が用いられている。定旋律のみのセクションの主役は器楽で、ひとつの旋律から紡ぎ出される作品はそれぞれ全く異なったスタイルをもっており、その多様さには驚かされる。 さらに、本日の演奏ではこのような大規模な作品に必要と思われる通奏低音楽器を追加した。 violetta(ヴィオラ・ダ・ガンバ) arpa doppia(トリプル・ハープ)fagotto(ドゥルツィアン) clavicembalo(チェンバロ) 当時、ヨーロッパ各都市では町ごとにピッチが異なっていたが、現存する楽器や当時の記述から、北イタリアではa=460~470Hzが標準であったことがわかっている。今回は、現在の標準ピッチよりも約半音高い466Hz を使用する。 ヴェスプロを演奏するにあたって、いつも物議をかもすのが移調の問題である。指揮者のアンドリュー・パロットが1984年に雑誌Early Music に掲載した論文で、Lauda Ierusalem とMagnificat は記譜よりも4度下げて演奏すべきだという説を提唱した。この2 曲は、一般的に用いられるクレフ(ト音記号、ヘ音記号などの音部記号)と異なる特殊な組合わせが使われている。このような記譜法は同時代の他の作品にも時折見られ、移調を示唆するものであると考えられている。 通常、移調の幅については2度から5度まで様々な可能性があり(最も多いのは4度または5度)、このことが《ヴェスプロ》においても謎を深めている。昨年、Early Music 誌にロジャー・バワーズが全音下げ説を展開する論文を掲載したが、今年、再びパロットが4度下げを主張する論文で反論している。 今回の演奏では、楽器の音域や声域を検討した結果、Lauda Ierusalem で全音下げ、Magnificat で短3度下げを採用した。論争は尽きないが、こうした謎をもっていることも、《ヴェスプロ》が我々を惹きつけてやまない理由のひとつであるのかもしれない。 今回の演奏では、晩課の典礼に則って、アンティフォナやその他の聖歌を含めた形で演奏する。詩篇やマニフィカトは、単声聖歌として歌われる場合には前後のアンティフォナと旋法を一致させることが要求された。しかし、この規則は詩篇・マニフィカトの多声化とともに次第に形骸化していった。実際、モンテヴェルディの作曲した5曲の詩篇とマニフィカトの旋法に合致するアンティフォナをもったマリアの祝日は存在しない。そこで、今回はマリアの祝日のひとつからアンティフォナを選び、詩篇とのスムーズなつながりを実現するために移調を行った。多くが旧約聖書の雅歌からの引用で、同じ出典をもつNigra sum やPulchra esの歌詞との関連性をもたせるという意味でも、最も相応しいものであると判断した。 ◆ 演奏にあたって 1610年の出版譜の中で、モンテヴェルディは一部の曲に以下のような楽器を指定している。 ・violino da brazzo(ヴァイオリン) ・viuola da brazzo(ヴィオラ〜チェロ) ・contrabasso da gamba(ヴィオローネ) ・cornetto(コルネット) ・trombone(サクバット) ・trombone doppio(バス・サクバット) ・fifara(フルート) ・pifara(ショーム) ・flauto(リコーダー) ・organo(オルガン) <私の履歴書 〜モンテヴェルディ編〜>1610年10月現在
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