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ジョスカン・デ・プレ Josquin des Prez (c1440─1521) ミサ 「フェラーラ公 エルコレ」 Missa "Hercules dux Ferrarie" 人々は泣いた 服を引き裂き 床に身を投げ出した… 天才作曲家のテキストに宿して 現代のクラシックの在り方を 鋭く衝く 今生まれ出る演奏 |
指 揮 | 濱田芳通(はまだよしみち) |
アントネッロ | コルネット:濱田芳通 |
ヴィオラ・ダ・ガンバ:石川かおり | |
ルネサンス・ハープ:西山まりえ | |
合 奏 | サクバット:角田正大 ほか |
バ ス | 春日保人 |
合 唱 | ラ・ヴォーチェ・オルフィカ |
日 時 | 2006年 9月11日(月) 7時開演 | |||
場 所 | 東京カテドラル聖マリア大聖堂(地図) | |||
チケット | 3000円 (お問合せ、ご購入) |
「フェラーラ宮廷とジョスカン・デ・プレ」 |
イタリア北部、ヴェネツィアの南西に位置する都市フェラーラは、13世紀初頭にはエステ家が支配権を握るようになった。エステ家は代々、芸術・文芸を手厚く保護したことで知られ、16世紀半ばには、詩人のタッソもここで活躍した。また、美術の世界でも、コスメ・トゥーラなど多くの巨匠たちがこの地で傑作を残している。エステ家一族は、フィレンツェのメディチ家と並んで、まさにイタリア宮廷文化を代表する存在であり、とりわけフェラーラが公国となった15世紀後半からは、華麗なルネサンス文化が花開いた。 1471年にフェラーラ公となったエルコレ1世は、特に音楽好きだったこともあり、ヨーロッパ中から優れた音楽家を集めていた。 1503年、そのエルコレが破格の待遇で招いたのがジョスカン・デ・プレだった。 ジョスカンは、もともとフランドルの出身だが、ミラノやフランスの宮廷でも活躍し、当時最も著名な音楽家の一人であった。宮廷礼拝堂の楽長に就任したジョスカンは、君主のために作曲した作品をいくつか残している。 そのなかで最もよく知られているのが、ミサ曲《フェラーラ公エルコレ(エルクレス・ドゥクス・フェラリエ)》である。この曲で、ジョスカンはフェラーラ公エルコレ(Hercules Dux Ferrarie)の名前の母音を音階に読み替えて、定旋律として織り込むという斬新なアイデアを用いた。 レ(re)-ド(ut)-レ(re)-ド(ut)-レ(re)-ファ(fa)-ミ(mi)-レ(re)というその旋律は、格別特徴的というわけではない。しかし、その少ない音の配列の中から、ジョスカンが描き出すポリフォニーは、即興的な掛け合いのように自由自在に展開していく。その発想の多彩さは、20曲以上ある彼のミサ曲の中でも特に際立っている。 教会音楽と世俗音楽のいずれにおいても、ルネサンスという時代の頂点に立つ存在であったジョスカン・デ・プレ。フェラーラのチャペルにも響きわたったに違いないその旋律は、500年経った今も我々の心を捉えてやまない。 |